講談社現代新書(2016年5月刊)
2001年、この時期に自動車関連対策室が立ち上げられた。地元広島で同じくバブル崩壊が進み、1996年に米フォードの傘下に入ったマツダに部品供給する地元サプライヤーをどう支えるのか、マツダの車作りに必要不可欠なサプライヤーをどう支えるのか、マツダのクリマづくりに必要不可欠なサプライヤーでなければ、フォードによって切られるかもしれない事態に対処しなければならなかった。事業内容や技術力を評価し、支援の判断ができないか。不良債権処理の暴風の真っただ中、対策室は時代の流れに逆らうかのような試練に立ち向かっていた。
リストラ案の策定という形でしか企画の手腕を発揮できず忸怩たる思いの日下にとって対策室の動きは、強く印象に残った。日下は後に、取引先を財務諸表のみで評価するのではなく、数字に表れない技術や顧客基盤、組織力等で見極める「定性分析」のモデルを開発することになる。その原点はここにあった。
(第2章 改革に燃える3人 P84「バブル崩壊とマツダ」 P89「しまなみサービス設立」)
この本は、ベストセラーになっています。「事業性評価」について金融庁が理解を示した経緯が詳細にかかれています。P47「マツダ復活のカゲに広島銀行の事業性評価」という項がそれではないでしょうか。「不良債権処理に追い立てられていた当時の広島銀行は、財務面でこれらのサプライヤーを評価し、融資の審査を実行していた。しかし、それでは、取引を打ち切らなければならないサプライヤーが生じてしまう事態が発生したのだ。広島銀行としては財務内容を見極めて「正しい」判断をしているつもりが、広島の基幹産業であるマツダを苦しめることになるという本末転倒の自己矛盾に陥てしまっていた」。
金融庁が、地域再生のため大改革を目指している経緯や、すでに取り組んでいる事例として、稚内信用金庫・北国銀行・きらやか銀行・北都銀行がビジネスモデルとして取り上げられていますが、私がこの本で注目したのは、森長官が、広島銀行から金融庁の地域金融企画室長に抜擢された、日下智晴氏(54)です。
日下氏の経歴等は、P82に記載がありますが。地元活性化を志し広島銀行に入り、地域のために取り組んできたことが、金融庁の大改革につながっている。という事実です。イノベーションは「個人的頑張り」から「組織活動へ」という事例ではないでしょうか。